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毛皮な日記

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2009-11-24-Tue 夜半から雨の火曜日 [長年日記]

49日

今日でジブの49日を迎えました。
この世にとどまる事を許される最後の日と言われています。
ずっと上げてきた陰膳は、今日が最後になります。

少し思い出話をさせてください。
ジブ 1
ジブが我が家の子になったのは、1996年5月25日のことでした。
生後1ヶ月程度。
離乳したてぐらいの月齢で我が家に来ました。
故長女の掛り付けの獣医さんのご紹介で縁をいただいた子でした。

お母さん猫のお腹の中にいる時分から、お母さん猫が保護されて、ひとの家で誕生しその後も我が家に来るまでお母さん猫、兄弟猫と一緒に過ごしておりました。

ジブと最初に会ったとき、その兄弟もいて、白茶で尻尾の長い男の子とやはり尻尾の長い三毛の女の子でした。
ジブだけが、兎の尻尾で可愛らしかったのを覚えています。

ジブと名付けたのは、お父ちゃんです。
当時スノーボードに夢中になっていて、それに関連する言葉ジブ・トリックから名前をもらいました。
大きな目と大きな耳、きょとんとした顔でじーっと見つめる子でした。

おとなになってからのジブは、とても賢く聞き分けの良い子でしたが、仔猫の頃は少し苦労させられました。
苦労させられたのは、トイレです。
我が家に来る前は、ふつうに用意された猫トイレできちんと済ませていたそうです。
なのに、我が家に来てからは猫トイレを使ってはくれるものの、頻繁に粗相もしてくれました。
どうやら布地の上でするのが好きなようで、流石にカーペットは被害にあわなかったのですが、当時10個ほどあった小型のクッションで残っているのはひとつ切りです。
クッションの上に座って居るなあと思ったら、もうそこでおしっこをしていました。
出勤前着替えた私のスカートの上に座ったと思った途端、おしっこをされた事もありました。
朝目覚めたら、ベッドの上にうんちが転がっていたこともありました。

どうしてなんだろう? と。猫トイレできちんとすることもあるのに……と。
当時私は半ば育児ノイローゼに到達しそうな勢いで悩んでおりました。
悩んだ挙げ句、この子はもとのおうちに戻した方がいいのだろうかと思った事もありました。
でも、お父ちゃんがもう少し長い目で見ようよと言ってくれて、あるとき現行犯でガツンと怒ってくれて、それ以来ジブの粗相は嘘のようになくなりました。
ジブ 2
好奇心が旺盛で、でも賢さの片鱗は小さい頃からあって、人間の目を不思議に思ったのでしょう、爪を出さずにそ~っと、目に、瞳にさわろうと手を伸ばして来た事がありました。
何回か試して、ようやくこれは人間さんの目なんだと幼いながらに理解したようでした。
好奇心のままに色々な事に興味を示すのですが、命に関わるような危ない事は「ダメ」と言うだけで、一度で覚えてくれておりました。
ひとの目をじっと見るのが好きな仔猫で、話しかけるとじっと目を見ながら聴いている子でした。

『顔の近くで寝たがる猫ほど甘えんぼ』そんな話を聴いた事があります。
ジブもそのクチで、仔猫の頃は、私の顔を抱くように眠ったり、アゴに自分の顔を乗せたまま寝たり、首の上で眠られて目を覚ましてしまったこともありました。
大人になってからはずっと腕枕。
私の左側はジブの定位置でした。

冬は当然ですが、真夏でもぴったりくっついて必ず腕枕。
暑くなると私の顔のすぐ横の枕に移動し、丸い腰のあたりを私の顔にくっつけて、私の手の平を枕として抱え込んで眠りました。

おとなになったジブは、甘えっ子の部分もたっぷり残していましたが、賢さも身につけ、物わかりの良い我慢強い男の子に育ちました。
生まれた時からご飯に困るというような経験が無い子でしたから、おっとりとしたおぼっちゃまに育ちました。

ジブは甘えっ子でもありましたが、甘えさせてくれる子でもありました。

およそ9年前、一時期精神的に辛かった時期が私にはあったのですが、その時もジブが傍にいて甘えさせてくれたから、私は乗り切る事が出来ました。
私にとってジブは特別な子。時には頼りにする存在でありました。
ジブ 3
5歳の時、現在の住まいに引っ越してきました。
それまでは東京でマンション暮らしでしたが、今度は一軒家。
家が広くなり2階や階段が出現して、ジブは運動量が上がると同時に甘えっ子が加速して後追いが激しくなってしまっておりました。
きっと、前の家に比べたら、同じ家にいながら姿が見えない事が増えて、時に不安だったのだと思います。

でも、あまりその不安、後追いを加速させると分離不安症になったりするので、こちらに越してきて半年を過ぎたあたりで、今掛り付けの獣医さんに保護された子の中から、次男坊としてくろんを我が家の子に迎え入れました。

最初は「フーッ」っと威嚇していたジブですが、1週間が経つ頃には一緒に眠ってあげたりするお兄ちゃんぶりを見せてくれました。
本当にくろんの面倒をよく見てくれて、やっては行けない事、して良い事、おトイレの使い方などいっぱい教えてくれました。
時には遊びに付き合い、遊びに誘って遊ばせてくれて、必要な時にはちゃんと怒ってもくれて、本当にしっかりしたお兄ちゃんになりました。

と、同時に後追いはだいぶん押さえられ、私の姿が見えなくても、時に「お母ちゃん、どこー?」と訊く事はあっても、追尾ミサイルのように始終追い掛ける事はなくなりました。

くろんは小さい頃からお腹が弱く、嘔吐や下痢が頻繁でだいぶん心配しましたが、ジブはもっぱら健康で数えられるぐらいしか獣医さんには架かっておりません。
年に1度、シニアになってからは年に2回、血液検査と健康診断を定期的に受けていましたが、毎回問題が無い子でした。
ジブ 4
だから、それ故にどうしても最後の最後……悔いが残り悔やまれて哀しくてなりません。

未だにジブの事を思い出すと、涙がにじんできてしまいます。
あまり悲しんでばかりいると、ジブが浮かばれなくなってしまうと思っていても、それでもどうしても涙が止まらなくなってしまいます。

でも、もう49日です。
もう49日なのか、まだ49日なのか、早かったのか遅かったのか……よくわかりませんが、ジブが迷う事のないように、私はもう少し強くならなければならないのだと思います。

くろんは日常を取り戻し、少しずつですが夜に対して遊んであげる頻度が上がり、少しずつお兄ちゃんっぽくなってきています。
まだ時々は「フシャー」と言ってしまいますけどね。

夜は、もう立派なおとなのはずなのに、どこか仔猫っぽさを残していてその遊ぶ姿や甘え方でこちらを和ませてくれます。

私は、くろんに夜に、ずいぶんと助けられているのだと思います。
でも、まだ、ジブを失った寂しさは簡単には癒えてくれないようです。

「ね~う~(寝ようよ/眠いよ)」「め~よ(ダメだよ)」 ジブと会話出来ないのが寂しいです。
ジブのように、こちらに伝えようと人間の言葉に近い言葉を話そうとはしてくれないですから。
くろんも夜もジブとは違うのだからとわかっていても、名前を呼べば「ん……」と返事をしてくれ、自分がしたい事をはっきりと主張してくれる子がいないのは寂しいです。
「お母ちゃん、寝ようよ~」 あの呼ぶ声が聞えないのは哀しいです。

でもね……ジブくん、13年以上も一緒に居てくれてありがとう。
本当にありがとう。
まだね、まだちょっとしんどいよ。
楽しかった思い出もいっぱい思い出すんだけど、あの時ジブはね、なんて話をお父ちゃんとも出来るんだけど、でもやっぱり、どうしてもまだまだ涙が出ちゃう事があるんだ。
ごめんね。ジブが心残りになったりしないように、お母ちゃん頑張るからね。
だから、しばらくのんびりして、そしていつかはお母ちゃんのところへ戻ってきてね。
待ってるから……ね。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

てん@さっぽろ [いまごろごめんなさい。 がんばれ! さっぽろは雪がしんしんと降ってます。 うちのぐうにも話してきま..]

SAYAKA [>てんちゃん  お言葉ありがとうございます。ぼちぼちやってます。  こちらもとんとご無沙汰していて申し訳ないです..]


2009-11-01-Sun 夜半から雨の日曜日 [長年日記]

元三男坊の十兵衛、我が家で急逝いたしました。

 昨日、10月31日。
我が家にとって元三男坊であった十兵衛が、13時過ぎに息を引き取りました。
享年は8歳前後です。ひとの年齢なら48歳前後。あまりに早過ぎます。

現在の宮城のお父さんの了解を得た上で、自分の気持ちに整理をつけるため、書き記します。

・10月24日(土)

 今年2月に亡くなった旦那さまのお母様の喉仏の骨を、大本山である京都の東本願寺に納めるべく、くろんと夜をペットシッターさんにおまかせして、出発しました。
 二泊三日の予定です。
 ちょうど京都駅に着いた時、マナーモードにしてあった携帯に着信が何度もあったこと、留守電が残っている事に気が付きました。
 相手は、十兵衛のお父さんで、急な長期出張が入ったので、十兵衛を預かってもらえないかというお話でした。

 十兵衛はもともと我が家で暮らしていた子です。
 庭に迷い込んできた時から片目で去勢済みで首輪の跡さえあった子でした。
 迷子の可能性もあるだろうと思い、ポスターなどを張り出したりしたのですが、結局誰も名乗り出る人がおらず、正式に2007年7月に三男坊として我が家に迎え入れました。
 しかしジブやくろんとの折り合いが悪く、主にジブと毛が飛び散るようなケンカが週に最低でも一度。流血の、怪我を負うケンカも数度ありました。
 どんどん十兵衛の明るく元気な性格が、縮こまっていくように感じられ、mixiの日記や里親募集サイトで里親捜しに踏み切ったのが2007年の11月に入ってからでした。

 宮城の友人がが里親に成る事を名乗り出てくれて、正式にお願いしたのが 年明け2008年の1月でした。

 十兵衛の体調が悪い事は、mixiの彼の日記で知ってはおりました。
 詳細は知りませんでしたが、その電話で体重が4キロを切ってしまっていることを知りました。
 あまり良くない状態だと感じられました。

 こちらが26日月曜日まで京都に居る事。彼自身が動くとしたら25日日曜日しか無い事。
 ペットシッターやペットホテルなども検討しましたが、体調が悪いのなら獣医さんに入院させた方が良いだろうという話しもして、
 結果的に我が家の掛り付けの獣医さん、以前十兵衛も掛かっていた獣医さんまで運んでもらって、体調が悪い事も伝えた上で暫定的に月曜日まで預かってもらい、
 火曜日に私が迎えに行くという話しにまとまりました。

・10月27日(火)

 獣医さんに十兵衛を迎えに行きました。
 体重は電話で聞いていたときよりも更に減って、3.6キロになっておりました。
 口内の炎症が酷く、そのせいで痛みで食事が出来ず体重の減少をみたのだろうと。
 保護当時炎症を起こしていた左下奥とは別に、右上奥が真っ赤になっておりました。
 原因は、歯石です。
 もともと歯石が付きやすい子で、我が家に居た折りにも定期的に歯石の点検をして、炎症を起こす前に、落としておりました。
 口の中を覗いてみると、炎症を起こしている箇所以外にも歯石があちこちの歯に付着しております。

 その状態に、私はショックを受けました。
 どうして、こんな状態になるまで放っておかれたのかと。
 あれほど歯石が付きやすい、口内で炎症を起こしやすい子だから定期的に検査して欲しいとお願いしておいたのに、と。

 炎症を起こしている今現在では落とす事はかないません。
 炎症が治まったら落としましょうという話をして、保護当時炎症をおさえるのに効果的だった飲み薬と口内に垂らす液状の薬とを処方してもらい、
 他に体重を体力を増やすために、療法食であるヒルズのa/d缶を受け取り、軽くなってしまった十兵衛を抱えて病院を後にしました。

 帰宅し一応キャリー越しにくろんと夜にご対面。
 くろんは、途端に「フシャー」夜は甘え声で近寄ったのですが人見知りならぬ猫見知りの十兵衛に「フシャー」とやられびっくり眼で退散しました。

 取り敢えず、2階の一室を十兵衛専用にしました。
 キャリーから出すと、腰がふらついています。
 目にも力がありません。まさによたよたという感じで用意してあった座布団に座り込み、甘えて小さく鳴くので身体を撫でてあげると、ゴロゴロと喉を鳴らしながら眠りにつきました。

 午後10時頃。すでに獣医さんで4時過ぎに晩ご飯と飲み薬は済ませていたのですが、お腹が空いているかもしれないし、食べられるなら食べて欲しいと思い、ご飯を用意しました。
 でも、表面をペロペロと少し舐めただけで、終りでした。
 おしっこの回数が少し多いなと感じました。3時間の間に、少量ですが2回するような感じです。
 親指の長さぐらいのうんちをひとつしておりました。

・10月28日(水)

 朝ご飯を持っていったのですが、昨晩同様表面をペロペロと少し舐め取る程度。寝ている間に食べてくれないかと思って出しておいたご飯にも手をつけてないようでした。
 それでも、多少は舐め取ってくれたので、投薬と滴薬。相変わらず腰がふらふらして、よたよたと歩いています。

 お昼近く、味が変れば食べてくれるかと思い、別の総合栄養食の缶詰を開けて持って行きます。
 3~4口、舐め取らずに食べてくれたので、そのあとはまた滴薬。

 晩ご飯、療法食を持って行ったのですがやはり舐める程度。
 身体のふらつきが収まらないので、これは食べさせなければと思い、この晩ご飯から強制給餌、強制給水に踏み切りました。
 ご飯だけでなくお水も強制にしたのは、おしっこをしている回数に比べて、お水の減りが少ないからです。
 ご飯をそれほど食べていないのでご飯からの水分量はたかだかしれています。
 それにしてはおしっこの回数が多く、水の減りは少なかったので、このままでは脱水を起こすと思いました。
 背中の皮をつまんだ感じでは脱水は起こしていませんでしたが、このままだと早晩起こしてもおかしくないので、強制給餌・給水に踏み切りました。
 口の中にいれてやると、十兵衛は抵抗もせずに飲み下します。
 あらがう力がないのだと感じました。
 必要分をお腹に納めさせてから、投薬と滴薬。
 夜中近くに更に食べさせ、滴薬しました。

・10月29日(木)

 部屋の中から十兵衛の大きな声が聞こえてきます。
 昨日までも鳴いていましたが、その鳴き声よりも力強さを感じました。
 朝ご飯を持って行くと、よたつきがだいぶんマシになっています。
 多少ふらつく事もありましたが、しっかりと歩いています。
 でも、やっぱり療法食はお気に召さないのか、食べてくれないので強制給餌と給水。
 しかし、滴薬したあと、口の中をもぐもぐと動かすのですがそれが引き金になって、直後食べたものを吐き戻してしましました。
 その前にあげた薬ごと、です。
 ただ、十兵衛の胃の状態を考えると、1回分量が多すぎるのかなと思えました。

 胃が落ち着くのを待って、30分後に、先ほどの半量のご飯を持って行って強制給餌と給水。食べ終えた10分後に投薬と滴薬。
 今度は吐き戻す事もなく、胃に収まりました。

 更に数時間後、残りの半量を持って行って強制給餌と給水。滴薬を済ませます。
 これで一日の必要分の半分を食べきりました。

 お天気が悪くないので、ベランダに誘うと出てきて日向ぼっこ。
 このあと、旦那さまを駅まで送って戻ると、以前お気に入りだった窓に十兵衛が座って眺めているのを車の中からみとめました。
 道路から「十兵衛~」と声を掛けると、大きな声でお返事してくれました。
 ジャンプしないとあがれない場所です。少しだけれど力が戻ってきたと感じられました。

 おやつどき、味を変えて総合栄養食の缶詰をあけて持って行くと持って行った量の半分を食べてくれました。

 晩ご飯はまた療法食で、強制給餌と給水。
 このとき、十兵衛が初めて手を使ってつっぱねるようにして、強制をいやがる仕草をみせました。
 それまでは抵抗すらせずに、されるがままだったのに、です。
 いやがられはしましたが、それでもなだめすかして強制給餌を続けます。とにかく食べないと体力が戻らないと思ったので。 投薬と滴薬。
 食事を上げる前に計った体重は、3.4キロ。
 約一日ご飯をほとんど食べなかったので、少し減ったのだろうと思いました。
 これからどんどん、いやがっても食べさせていかなくてはと改めて思いました。

 夜寝る前にも強制給餌。これでようやく一日必要分量をすべてお腹におさめた計算です。滴薬して休みました。

・10月30日(金)

 今日は、仙台の獣医さんで打った抗生剤の注射の効果が切れるので追加接種しに、夕方獣医さんに向かう予定です。

 朝ご飯、必要量の1/4。やはり進んでは食べてくれないので強制給餌と給水。投薬と滴薬。
 腰のふらつきは昨日よりも更にしっかりとしてきておりました。
 日向で香箱を作って眠りに入ります。

 数時間後、1/4の強制給餌および給水。そして滴薬。
 十兵衛は、ふてくされたような感じで窓に飛び乗り外を眺め始めたので、撫でながらしばしお付き合い。
 ぐりぐりと頭をこすりつけてくる元気さを取り戻しておりました。

 14時頃、総合栄養食を持っていくとまた少しだけ食べてくれたので、食後に滴薬。

 このとき、少しおかしいと感じました。
 日陰に向かったのに香箱を作らず、足を投げ出すようにして横たわったのです。
 確かに気温が上がってはおりましたが、部屋の温度はそれほど高くありません。
 日向ではなく日陰に行った事。熱でもあるのかと思い、計ってみたのですが特に発熱している様子は見られませんでした。
 皮もつまんでみたけれど、戻りは悪くなく脱水も心配から外れました。

 午後の診療に合わせて十兵衛を獣医さんに連れて行きます。
 くろんは定期的な血液検査、夜もここのところ耳をかゆがっていたので、一緒に連れて行く事にしておりました。

 十兵衛を抱えてキャリーにいれます。
 このとき、念のためと引っ張った皮膚の戻りが遅い事に気が付きました。
 あれだけ給水をさせているにも関わらず、脱水が起こっていると気が付きました。数時間前と違っておりました。

 獣医さんに到着。院長先生に見てもらう事にして、順番を待ちます。
 呼ばれて最初に十兵衛をキャリーごと、運び込みます。

 先生の見立ては、やはり脱水を起こしているので緊急で輸液をしようということに。
 準備をしている間に体重を量ってもらうと、体重は更に減って3.28キロしかありません。 あれだけ強制給餌・給水をしていたにもかかわらずです。

 点滴の準備が整って、十兵衛の右手に針を差し込みます。
 まず最初に血液を採取するのですが、その血を見て先生が、「血の色がおかしい。肝リピドーをおこしているかもしれない」と。
 確かに、先生のおっしゃるとおり、本来の血の色ではないのです。
 先生の言葉を借りれば、ピンクっぽいという感じです。
 大至急血液検査もする事になり、必要分を採血してから輸液に代え、十兵衛の点滴を始めました。

 昼過ぎまで、窓枠に飛び乗ったり元気にないていたのに……
 この急激な展開に、一瞬私はついて行けなくなっておりました。

 私の掌に頭を載せたまま、十兵衛は点滴を受けます。
 足も手も投げ出して、力ない感じを受けました。

 しばらくして、血液検査の結果がもたらされました。
 「DICを起こしている。多臓器不全が起こっていると思います」と。
 DICは、血液内で凝固作用が生じる事です。血栓が多発することです。そのため、血液の色がおかしくなります。
 「貧血も起こしているので、緊急で輸血をしましょう」という事になりました。
 「多臓器不全をおこしていると思われるので、持って数時間かもしれません」
 そんな予想外の、思いもよらない宣告も受けました。
 「飼い主に連絡をとった方がいい状態ですか?」 そう私が訊くと、すぐにでもという話になり、看護師さんに十兵衛の手枕を変わってもらい、私は院外に飛び出しました。

 車内でくろん、夜と一緒に待機していた旦那さまにそのことを伝え、その場で携帯を操作します。
 音声は留守電にしかならなかったので、留守電を残し、携帯メルアド宛にメールを送信し、mixiではボイスに書き込みをしました。
 早く気付いて連絡が欲しい一心から、考え得る事をしました。

 心臓のドキドキが収まりません。なぜ? どうして?
 お昼過ぎまではあんなに元気そうにしていたのにと。
 てっきり回復基調に乗り始めたと思っていたのに、と。

 出来うる限りの事をして、院内に戻ります。
 輸液はかなり早いスピードで十兵衛の体内に送り込まれています。
 先生は、奥で輸血の準備を始めてくれていました。
 獣医さんで飼っている猫がジブのときと同様に血を分けてくれるのです。
 でも、採血するためには、その猫に麻酔をかけなければ出来ないのです。

 看護師さんと手枕を変わろうと思ったところで、携帯が鳴りました。
 彼に説明をして、来られるならすぐにでも駆けつけた方が良いと伝えました。
 彼は、これから家に帰って1日からの出張の準備をしてから駆けつけるという話でした。
 宮城県から5時間あまりかかるでしょう……。

 先生が輸血の準備が出来たとおっしゃって、いったん診察室に戻ってこられたので、宮城のお父さんがこのあと家を出る旨、到着するのは日付が変ってから夜中になるだろうと伝えました。
 先生は、それでもかまわないから、到着したらすぐこちらに来るようにと言ってくれました。

 あまりの急激な変化に戸惑い、先生に尋ねます。
 「昼過ぎまでは、窓に飛び乗って外を眺めるくらい元気だったのに」と。
 先生がおっしゃるには、口内の炎症を起こしている箇所から細菌が入り込み、そして急激にDICが進んだのだろうという事でした。
 その結果、脱水、貧血、多臓器不全になったのだろうと。

 わずかに半日もかからずに、十兵衛の状態は一気に悪化してしまったのです。

 輸血が始まりました。しばらくすると、十兵衛の身体が起きてきます。
 輸液と輸血で、少し身体が楽になってきたのでしょう。 投げ出していた手足を納め、自力で身体を起こし、片手だけは伸ばした香箱を組み始めました。
 このまま、好転してくれればいい。輸血を全部まだ終えてないのに、十兵衛は身体を起こす事が出来た。
 その力で、乗り切って欲しい。
 「頑張るんだよ、十兵衛。お父さんもうすぐ来るからね」 そう、声を掛けると、十兵衛は「んー」と声でお返事してくれました。

 院内で十兵衛に対して私がしてあげられることはもうありません。
 輸血はまだ終わりませんし、そのあとまた更に時間を掛けて輸液もします。
 獣医さんにこの後の事はまかせて、彼が到着したらすぐにでも駆けつける事を約束しました。

 このあと、診察室を代えてくろんの血液検査のための採血をしてもらいました。
 夜の耳も見てもらいましたが問題なく、念のためとクリームをつけて耳の中を綺麗にしてもらって、ふたりの診察は終りです。

 「もしかしたら、また輸血が必要になるかもしれない」との先生の言葉に、くろんは採血を余分にしてもらって、検査。
 結果は、少し血が薄いと言う事で、夜も検査することに。
 夜の血液は綺麗で輸血するにも十分な濃さを持っているとわかり、いざとなった時には、夜から血を分けてもらう事に決まりました。

 獣医さんを出たのは、20時をとっくに越えてからでした。
 カラッポのキャリー、くろんと夜と一緒に帰宅しました。

 宮城のお父さんから帰宅した旨の電話が入ります。
 一度切ったのですが、失念していた事を伝えるために、もう一度こちらから掛けました。
 「そちらを出る時に、もう一度電話をください」と。

 家を出るという留守電のメッセージを受けたのは、21時半ぐらいだったと思います。
 ざっと、5時間プラスして、我が家にいったん到着してから獣医さんに向かう時間もプラスして、「夜中の3時ぐらいまでにはそちらに向かえると思います」と獣医さんに連絡を入れました。

 23時半近く、常磐道に入って今SAにいると、連絡をもらいました。
 あと、到着までは2時間弱ぐらいでしょう。

 私は入浴することにしました。たぶん今晩は眠れない事も覚悟しました。

 深夜2時前、家の前に到着したと連絡が入ります。
 私は2階の寝室で、入浴後の手入れをしていたので、旦那さまが家に迎え入れ、事の経緯を階下で説明してくれました。
 私の運転で、彼を乗せて獣医さんに到着したのは夜中の2時半を少し回ったくらいだったと思います。

 期待に反して十兵衛の状態は好転してくれてはおりませんでした。
 輸血後もDICが進んでいる事。多臓器不全も進んでいる事。おしっこが出なくなっている事。腎臓と肝臓もやられはじめているのだろうという事。朝まで持たせる事が出来るかどうか……。
 そんな事を聴かされました。

 入院しているケージの中で、十兵衛は入り口扉に背を向けて眠っているようでした。
 先生が揺り起こすと、十兵衛はようやく気付いてこちらを振り向きます。
 宮城のお父さんが声を掛けるととても嬉しそうな大きな声で返事をしてくれました。

 「もう一度輸血をしようと思いますので、これから準備に入ります」 先生がそうおっしゃって、席を外します。
 獣医さんの飼い猫、2匹目の女の子が血を分けてくれるそうです。

 彼が声を掛けると、十兵衛はよろけながらも立ち上がって寄ってこようとします。
 その姿は、あの時のジブに重なってしまって……私は心臓が張り裂けそうでした。

 先生に話した上で、彼には、このまま院内にとどまってもらう事にして、私は帰宅する事にしました。
 十兵衛は、彼の猫です。
 確かに我が家の三男坊であった事もありましたが、今はそうではありません。
 一緒に暮らした年月も、もう彼の方が長いのです。
 そこにとどまって、私に出来る事はもうなにひとつありませんでした。

 何かあったらすぐ来るから電話をするように伝えて、また先生にもお願いして、私は病院を立ち去りました。

・10月31日(土)

 帰宅後、私は少し眠る事にしました。
 本当に、あまりの急な展開、予想を遙かに超えた展開に心身共にかなり参っておりました。
 旦那さまが代わりに起きていてくれて、彼からの連絡も受けてくれるとの事で、私の携帯と彼から帰り際受け取った彼の車の鍵を旦那さまに託し、
 くろんと夜と一緒に、私がベッドに入ったのは、明け方4時を回っていたと思います。

 旦那さまが寝室に入ってきました。
 彼から連絡があったこと。少し仮眠を取りたいから車を持ってきて欲しいとのこと。
 私が起きようとすると、旦那さまが代わりに行ってくれるとの事。
 私は頼り、携帯を枕元に置いておいてもらって、再び眠りに付きました。時計を見たら、7時半をまわったぐらいでした。

 次に電話を受けたのは、8時半ぐらい。
 3度目の輸血を受けたけれど、十兵衛に回復の見込みはもう無い事。それならば家で看取ってあげた方が良いとの判断をした事。
 彼が対応できなかったので、旦那さまがそう決断して先生に伝え、つないでいた点滴の管を外し、これから家に向かうという連絡を受けました。

 私は片手に夜を抱き、くろんを足の間で眠らせながら、その電話をベッドの中で受けました。

 まだ眠いとぐずる夜。
 もう起きるんでひゅかああ~ぁと大あくびのくろん。
 そんなふたりにごめんねと謝りながら、私はベッドから起きあがり身支度を調えます。
 あちこちの雨戸を開け、十兵衛の部屋を整え直し、宮城のお父さんと十兵衛、旦那さまの帰宅を待ちました。

 ほどなくさんにんが帰宅しました。
 2階の日当たりの良い部屋に十兵衛を運び込んでもらいます。
 少し落ち着いたあたりで、私も十兵衛の顔を見に行きました。

 「十兵衛……べえくん……」 そう声を掛けると、「んー……」と声を上げながら目を開けてくれました。
 「頑張ったね、べえくん。お父さん来てくれて良かったね」 ひと撫で、ふた撫でして部屋を後にしました。

 これが私にとって、まだ生きている十兵衛の最後の姿でした。

 なるべくお父さんとふたりきりにしてあげようと、極力部屋を訪れるのはやめておりました。
 弛緩した時間が流れていきます。
 朝方まで持つかどうかと言われた十兵衛。 もう、いつ、息を引き取ってもおかしくないのです。

 気が付くとお昼近くになっておりました。
 それまでの間、何度かお父さんは階下に降りてきて、何度か言葉を交わしたはずなのですが、はっきり覚えていません。
 十兵衛のそのときの様子を訪ねたのだけは覚えています。

 午後1時を回った頃。ドタドタいう足音と共に宮城のお父さんが降りてきます。
 「十兵衛、もう駄目かもしれない……」と。
 急いで2階にあがります。仮眠を取っていた旦那さまにも大声で声を掛けます。

 長座布団に横たわった十兵衛の呼吸はもう止まっておりました。 声を掛けますが反応はありません。
 胸に耳を当ててみると、まだ鼓動はありました。 名前を呼びながら身体を刺激します。 でも、呼吸は戻りません。
 また胸に耳をあてると、まだ鼓動があります。 その様子を見た旦那さまは、階下から聴診器を持って再び上がってきました。
 胸に聴診器を当てます。弱く不規則な鼓動が聞こえていたそうです。
 私も、胸に直接耳を押し当てます。まだ鼓動があります。
 「人工呼吸を試してみる? それともこのまま、逝かせてあげる?」 そう、私はお父さんに訊ねました。
 彼からの返事はありませんでした。
 だから代わりに旦那さまが決断してくれました。 「このまま、逝かせてあげようよ」と。

 十兵衛の心音が聞こえなくなりました。
 1時半にはなっていなかったと思います。
 彼が自分の腕時計を鼓動が聞こえなくなったと言った時、見たのは覚えています。

 「十兵衛、べえくん……よく頑張ったね。えらかったね」 確かそんな言葉を掛けたと思います。
 ぼろぼろと涙がこぼれ落ちてきました。 しばらく身体を泣きながら撫でて、お父さんにあとを任せ、旦那さまとふたり、部屋を出ました。

 しばらくして、お父さんが降りてきました。
 十兵衛がおしっこをしたみたいだからぞうきんを貸して欲しいと。
 私は洋服に付いた染みを拭くよりも、着替えがあるなら着替えた方が良いと促しました。

 十兵衛の腎臓は、それほど衰えていなかったのでしょう。
 息を引き取った後に、最後の排尿が出来たのですから。
 ジブは、おしっこを作る事さえ出来ないほど、腎不全を起こしていて、当然、息を引き取ったあとの排尿はありませんでした。

 今後どうするのかの話し合いです。 具体的には、いつ荼毘に付すのかという事。
 骨を拾いたいのならこれから火葬場に連絡をとるからどうする?と。
 お父さんは、11月1日から出張なので、今晩中には宮城へ帰宅しなければならないからです。
 出た結論は、今日は荼毘に付さず、明日の予約を取って、私と旦那さまのふたりで骨を拾うことになりました。
 お骨も彼が出張から帰るまで、我が家で預かります。

 彼も眠っていないので、十兵衛を和室に移し添い寝しながら仮眠を取るようにと促します。

 1時間以上経った頃、彼が眠れないといって降りてきて、このまま帰宅すると伝えてきました。
 十兵衛を預かる時に渡されたトイレや食器、予備のトイレ砂は持ち帰ってもらう事にしました。
 預かっていたご飯は、話の結果獣医さんに寄付する事になりました。

 彼が去った後、十兵衛の顔を見に上がります。 安らかな顔つきになっておりました。
 身体を撫で声を掛け、お父さんは帰った事、出張から帰ったら向かえに来る事、それまではうちで過ごす事などを伝えます。

 その晩は旦那さまが十兵衛と一緒に眠ってくれました。
 お父さんの代役です。

・11月1日(日)

 予約した午後三時に火葬場に到着しました。
 口内に問題があったので、食べさせてあげる事が出来なかったまたたびの実、そしてカリカリを少し包んで供え、十兵衛を見送ります。
 計測した体重は、3.6キロでした。

 途中出張先の空港についたところで宮城のお父さんから電話がありました。
 こちらの天候と進行度合い訊ねられます。
 風が強いけれどまだ晴れている事、ほんの少し前に見送った事を伝えます。

 十兵衛の骨は、ジブと比べると華奢な骨でした。
 抱きしめながら家へと連れ帰りました。

今、十兵衛は小さな小さな姿になって、ジブの隣におります。
今晩から捧げる陰膳は2つに増えてしまいました。

まさかひと月のあいだに、長男坊と元三男坊を見送る事になるとは思いませんでした。
ジブが亡くなってから、ようやく最近気持ちが少し落ち着いてきた矢先の出来事で、また心が千々に乱れております。


書こうかどうか散々迷いましたが、あえて宮城のお父さんの傷口に塩を塗り込むような事を書かせていただきます。
書いて自分の気持ちを整理して吐き出さなければ、私はきっとこの先彼と友人としての付き合いにもどこかしらぎくしゃくしたものを感じてしまうと思うのです。
だから、あえて書かせていただきます。

やはり、今回の十兵衛の死は、どうしても防ぐ事が出来た事であったと思えてならないのです。

十兵衛を託した時、すでに口内に問題を抱えている事、定期的な通院が必要になるかもしれない事、歯石が付きやすいから定期的に口内を見てもらって、必要に応じて歯石を落とさなければならない事。
そのことはしっかりと伝え今後の事をお願いしたつもりでおりました。

その事を納得した上で、医療費もかかる可能性が高い事を受け止めてくれた上で、手間も暇も掛かる事を分かってくれた上で、それでも十兵衛をもらってくれたのだと思っておりました。

実際、定期的に病院に連れて行ってくれているのは日記を通して知っておりました。
でも、まさか、その際に口内の確認を、歯石の付着の確認をしてくれていなかったとは、思っていなかったのです。

彼が我が家に到着した晩、「どうしてあんなになるまで放っておいたの?」私は訊ねずにはいられませんでした。
彼は、口ごもりはっきりとは答えてくれませんでした。

もちろん、彼自身、口内の炎症に細菌が入り込んだせいでという理由は伝えてあったので、わかっていたのだと思います。
何を言っても言い訳にしかならない事。
自責の念にかられていたのは、よくわかっておりました。
でも、どうしても口に出さずにはいられませんでした。

獣医さんに向かう車内で、私は訊ねました。
「歯石に気がつかなかったの?」と。
彼は答えます。「気が付いた時には、もう手遅れだった」と。

私は次の言葉が継げませんでした。

言葉の内容から察するに、炎症を起こすまで気が付かなかったのだと思います。もしかしたらこちらの獣医さんに掛かるまで口内の炎症など疑ってなかったのかもしれません。

そうでなければ、食欲が無かった十兵衛のために、何件も店を回って固いドライフードを探したりする理由にならないからです。
お腹の調子が悪いわけではなく、口内の炎症のせいで、食べたくても食べられなかった十兵衛のために、障りにしかならないドライフードを探すわけがありません。
探すとしたら柔らかくて栄養価の高いウエットフードのみのはずです。

あれほどお願いしてあったにもかかわらず……と、どうしても怒りに近い哀しみがこみ上げました。

もちろん、いまさら彼を責めたところで十兵衛が戻ってくるわけ ではありません。
でも、もしもこの先、新しい命を向かえる事があったなら、十兵衛が教えてくれた事は生かして欲しいのです。
その子の中に。
十兵衛の死を無駄にしないで欲しいのです。
十兵衛十兵衛
塩を塗り込むのは彼に対してだけではありません。
私にも塗り込むことが必要です。

どうして十兵衛を手放したのか……。
ジブやくろんとケンカをしながらでも、年月を掛ければもしかしたら折り合いが付いたかもしれない。

でも、どんどん明るさを失って萎縮していく十兵衛を見ていられませんでした。
ジブもくろんも、十兵衛も、お互いの動向にピリピリする回数が増え、ストレスで体調を崩していたくろんを見ていられませんでした。

2007年の秋、旦那さまとも散々話し出した結論であったとはいえ、今思うのは、やはりあの時手放さなければ良かったという事です。

でも、十兵衛は宮城のお父さんの家で、ひとりっ子として可愛がられて、彼だけでなく彼のご両親にも可愛がられて、とても幸せそうでした。
本来のひと懐っこい、明るい性格を取り戻してイキイキと暮らしていたと思えました。
だから、手放した事は間違っていなかったと、私は思っておりました。
十兵衛は愛されて生活をしていると。

そして、例え鬱陶しがられたとしても、もっと頻繁に十兵衛の体調を彼に訊ねるべきだったのだと思います。
彼は、決して鬱陶しがるなんて事は無かっただろうと思います。
私が口を挟んでいれば、もっと口内の歯石や炎症についてマメに検診を受けていてくれただろうと思います。

でも、十兵衛の親は、飼育者は彼なのです。
前の飼い主が、託した後もあれやこれやと口を出すのは、私にはあまり好ましい事だとは思えませんでした。
託した以上、お願いした以上、全面的に相手を信頼して 余計な口出しは不要な事だと思っておりました。

でも、出すべきでした。

もっと口やかましいぐらいに十兵衛の健康を訊ねていれば、十兵衛は歯石を作る事もなく、炎症を起こす事もなく、体重が減少する事もなく、炎症から細菌が入って死に至る事も無かったのだと思えてなりません。

自分の考えが、これまでの行動が悔しくて仕方がありません。
もっと十兵衛に対して出来る事があったはずだと思えてなりません。

でも、十兵衛は我が家を離れてから確かに幸せだったのです。
宮城のお父さんが到着して声を掛けた時の、あの嬉しそうな顔と鳴き声が未だにハッキリと思い起こせます。

2年近くの歳月、十兵衛と一緒に暮らしてくれてありがとう>宮城のお父さん
出張先で、気持ちが乱れる事もあると思います。
自分の体調に気をつけて、ちゃんと無事に帰宅して十兵衛を向かえに来てください。

それまでは、毎日我が家でジブと共に陰膳を上げ、毎日我が家で過ごした半年あまりの日々を思い返して話をしてあげたいと思います。

さようなら、十兵衛。

写真は、獣医さんから連れてきた10月27日に、宮城のお父さん宛、到着した旨を知らせるメールに添付した写真です。
我が家に到着して2階の一室で長座布団の上で落ち着いたところを携帯で写したものです。
これが生前の最後の写真になりました

2009-10-15-Thu ようやく晴れた木曜日 [長年日記]

ぽかぽかのベランダ

夜くろんしばらくお天気が悪かったのですが、ようやく晴れました。
ということで、ひなたぼっこ日和だろうと、息子たちをベランダへとお誘い。

くろんは、すぐに窓際に寄って、ころんころんと日差しを満喫しはじめます(写真左)

夜は、なぜか、キャットニップの鉢植えの陰に、こそこそと近寄り、じーっとくろんのころんころんを凝視。
何をしているのかなあと思ったら、どうやらくろん兄ちゃんと遊びたかったようです。

くろんのころんころんが止まったあたりで、低い体勢でてとてとと近寄ります。
そのまま飛びかかるのかな? と思ったら、礼儀正しい夜は、ちゃんとそこで「兄ちゃん、遊んでっ!」とひと声。
でも、くろんは「やでひゅっ!」と即答(^^;)

夜は、不満げな顔でしたが、すぐにあきらめて体勢をふつうに戻したあと、今度は私に「おかちゃん、遊んでっ!」と(笑)
仕方がないので、夜のお相手をつかまつりました(^^;)

くろんは、そのままその場でうたたねへ。夜は少し遊んだあと、柵に上り、景色を満喫しておりました。


2009-10-14-Wed 曇り空の水曜日 [長年日記]

夢で逢えた?

昨日初七日にジブが夢の中で、後ろ姿しか見せてくれなかったけれど、家に帰ってきてくれました。

そんな夢を見た昨日から、くろんの様子が落ち着きました。
顔つきが穏やかになっていて、むやみとかまって欲しがったり、抱っこをせがむというのが、ピタリと止みました。
私の精神的なものが少しなりとも落ち着いたから、という解釈も出来るのですが、私には本当にジブが家に戻ってきてくれていたのだと思えてなりません。

お父ちゃんもそれは感じているようで、『お母ちゃんがジブが帰ってきた夢を見たせいか、くろんが落ち着いたね』と言ってくれてます。

深夜近く……
くろんは合皮のビーズクッションに埋もれるようにしてひとりで眠っておりました。
満足そうな寝顔、私が顔を寄せると、ゴロゴロゴロと眠りながら喉を鳴らしているのがわかりました。
いい夢を見て居るんだろうなあと、しばしくろんの寝顔を眺めていました。

突然、「あっ、ああーーんっ!」
くろんは、そう鳴き声をあげながら、ハタッと目を開け、片手を空中に伸ばします。
そして寝起きであるにも関わらず、その目はその先のどこかを見つめて片手をしきりと伸ばそうとしておりました。

しばらく遠くを見つめたあと、くろんは片手を引っ込めます。
ふと、私を振り返り、目をきゅうっっと細めてから、起きあがって甘えにきました。

なんのの夢を見ていたのでしょうか、くろんは……。
私には、夢の中でジブがくろんにお別れの挨拶をしに来たように思えてなりません。

ゴロゴロと甘えたように喉をならし、片手を伸ばして鳴きながら目覚めたくろん。
その目は、起き抜けなのに、しっかりと、でも、どこか遠くを見つめ続けておりました。

初七日を過ぎて、ジブは家を離れたのかもしれないです。くろんに最後の挨拶をしてから。


2009-10-13-Tue 秋晴れの火曜日 [長年日記]

初七日に

今朝、ジブの夢を見ました。
ちょっと風変わりな夢でした。

さっきまでそこに居た旦那さまの姿が見えません。
どこかに行ったのだろうかと、階段を上がり窓から外を眺めると車がありませんでした。
知らないうちに、車で出かけたのだろうと推測をつけます。
どうしてそういう気分になったのかわかりませんが、1階に戻り道路に出ました。
目の前を通れるはずのない大型トラックが二台横に並んで通り過ぎて行きます。
反対側からは普通乗用車がやはり二台横に並んで向かっていきます。
ぶつかると思った瞬間に、どの車も掻き消えました。

何もいない道路に、うちの車がふいに姿を現します。
私の目の前に停まり、旦那さまが降りてきて「お客様をお連れしたから」と言いました。
来客の予定はなかったはずなのですが……
スライドドアが開いて、誰かが降りる気配。
でも、目には見えないのです。
それなのに、私は「いらっしゃいませ。どうぞ」と案内して家に入りました。
数人の人型の気配が、ざわざわと家の中を歩いている感じなのですが、見えません。

ところが、急に足もとをかすめて2階に駆け上がる気配が。
目を向けると、年老いた小さな小さな女性、幼児ぐらいの体格のひとが、細い剥き出しの手足を床について階段を四つ足状態で上がっていくのが見えました。

階段を上がりきった途端、声が上から降ってきました。
「あんたは、帰るのが遅すぎる。いったいどこで何をやってたんだっ!」
怒鳴る口調で誰かをしかっています。

私は階段を駆け上がり、その人を怒ります。
「いくらお客様でも、いきなりうちの猫を怒らないでくださいっ!」

振り返ったその人の瞳は猫の目で、にやりと笑うと、ふっと姿が消えました。

そして、消えた姿のその先には、ジブの後ろ姿が。
背中を向けたままでした。

寝室の入り口にちんまりと、背中を向けたままだけれどジブが座っていました。
「ジブ」と声を掛けようとしたところで、目が覚めました。

寝室は真っ暗なまま。その暗闇の中で動く気配がします。
くろんと夜が「起きるの?」と、もぞもぞと身体を動かし始めておりました。
夜が「おはよー」と頭をこすりつけてきます。
くろんが、「ふひゃあーあ」と大きなあくびをしました。

涙が出てきました。
ジブはようやく家に帰ってきてくれたのでしょうか?
それでもまだまだ許してくれなくて、背中を向けたままだったのでしょうか?
わかりません。

でも、ようやく、夢の中ではあるけれど、ジブに会う事が出来ました。

あのお客様は誰だったのでしょう。
瞳だけが金色の猫の目で……そう、「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくる猫娘に似ていました。
でも、娘ではなく、もっと年老いた老婆に近い年齢に見えました。

不思議な夢でした。でも、たとえ背を向けた姿でも、ようやくジブに夢の中で会えたのは嬉しかった。
ジブを亡くして以来、眠りが浅く、夢なんてひとつも見ていなかったから。
夢でもいいから、会いに来て欲しいと切に願っていたにもかかわらず……。

今朝、この夢を見たので、ようやくジブのことを日記に書く勇気が出ました。
だから、日付を遡って記しました。

ありがとう、ジブ。たとえ後ろ姿だけでも、本当に嬉しかったよ。


2009-10-09-Fri 晴天の金曜日 [長年日記]

この日記は日付を遡って書いています。

獣医さんに行ってきました

 手術と入院に掛かった費用を支払いに、獣医さんに向かいました。
ジブを連れ帰る時に借りたバスタオルに加え、寄付品として他の子の入院時に使ってもらえるように、我が家で眠っていたバスタオルも持ちました。
ジブが食べるようにと買い求めていた療法食。
まだ未開封のもので、この先封を切る事はないですから、それも寄付品として受け取ってもらおうと持つ事にしました。

獣医さんに到着。さして待たされる事もなく、診察室に呼ばれました。
開口一番に私が聞いたのは、検査に回した、ジブのお腹から切り取った部位の結果でした。

結果は、癌ではありませんでした。

重度ではあるけれど、慢性大腸炎というのが、検査結果でした。

獣医さん自身も、困惑していらっしゃるようです。
経験上、お腹を開けた時、これは癌に違いないと思われたそうで、だから可能な限り部位を切除したそうです。
この結果に先生自身も困惑し、また、私たち家族にどう説明すればいいのか、だいぶん苦しまれたようでした。

でも、この時の私は、ジブは癌では無かったと聞いた途端、思考が停止し、言葉が出なくなっていました。
代わりに、お父ちゃんがいろいろと聞いてくれて、その会話の中から、刻み込まれた言葉だけを拾い上げて書き記しているわけです。

お腹のしこり、体重の減少、抗炎症剤を用いても続く下痢。
少し回復した体重と体力。
でも、変化の無かったしこりの固さ。
腎機能が低下していると認識できるような検査結果は得られていなかった。
だから、開腹手術をして実際にしこりの正体を見極めるのが、獣医として最善の方法だと思えた。

ジブの腎機能が低下さえしていなければ、縫合した腸が正常に動くようになり、快復して退院できたはず。
大腸炎であるなら、なおさらその後の命も長らえられたはず。
よしんば、重度であったから最終的には癌化したとしても、まだまだ余命はあったはず。
最終的にジブの命を奪ったのは「急性腎不全」だという診断になるとのこと。

そんな言葉だけが、今頭の中に断片的な記憶として残っています。

やはり、私の決断が間違っていた。
そこから、転がるように悪い事が立て続けに起きて、ジブの命を奪ってしまった。
悪い事が続いたその引き金を引いたのは私だ。

お腹を開けなければ、ジブは薬を飲みながらも、下痢をしながらも、まだまだ美味しいものを食べて、日向でのんびりして、ぐっすり眠って、おしっこもして、一緒に暮らせていたはずだった。
お腹さえ、開けなければ腎機能の低下が急速に進む事も無かった。

私が開腹手術を決断してから、たった、5日間で、ジブは逝ってしまいました。

13年間慈しみ愛した命を、私は自ら殺したようなものです。
どんなに謝っても謝っても、謝りきれない。
本当に悔いしか残らない。
ジブの心臓が止まった時に私の心臓が代わりに止まっていたら良かったのに……
いっそ、狂えたらいいのに……。

でも、狂う事さえ許されません。ジブに許されないでしょう。
私のもとには、まだ命が2つあります。くろんと夜。
その二つの命を、この子たちが十二分に生ききるまで、私は狂う事は出来ないのです。

ジブが旅立って以来、くろんは寂しそうです。
今まで以上に抱っこをせがみ、夢見も悪いようで、寝ながら呻くことが増えました。
仔猫の頃からくろんはジブに育てられたようなものです。
ジブの愛情を受けて、教育も受けて、育ちました。
ジブが入院する前くろんには声を掛けました。
『お兄ちゃんとお医者に行ってくるからね。お留守番しててね』と。
ジブを入院させて帰宅したとき、私はくろんにこう言いました。
『お兄ちゃん、入院して手術受ける事になったの。結構長く居ないかもしれないけど、ちゃんと元気で帰ってくるから、一緒に待ってようね』と。
でも、その言葉は果たせなかった。
ようやく帰ってきた大好きなお兄ちゃんは、もうこの世のものではなく、呼吸もしていないし、くろんに反応すらしてくれなかった。

荼毘に付した日、出がけに夜はもう一度ジブの匂いを嗅いでくれました。
くろんも身体中の匂いを嗅いでいました。鼻ちゅうもしていました。
その晩から、くろんの抱っこしてというお願いは、加速しました。
くろんは相当ショックを受けているのだと思います。寂しいのだと思います。
可能な限り、心を和らげようと私もお父ちゃんもくろんの要望に応えています。

くろんがいる限り、夜がいる限り、私は狂う事も出来ず、淡々と日常をこなしています。
毎日、何度か余震で津波が押し寄せるようにどっと哀しみがやってくることがあります。
気が付くと目から涙がこぼれている事があります。
食欲が失せ、胃が痛いです。
でも、これは私に科せられた罰であり、受けなくてはいけない事なのだと思っています。
いつか、許される日がくるといいなと思いながら、過ごしています。

13年以上も一緒に暮らしてくれてありがとう、ジブ。
もしジブが許してくれるなら、もう一度私のもとに戻ってきてください。
どんな姿でもいい。また一緒に暮らしたい。そう切に願っています。

この日記は6月以降の記述がされていません。
ジブの生きた証にもなるので、また日付を遡って埋めていきたいと思っています。
明日以降の日記は、くろんと夜、ふたりの日記になります。
本日のツッコミ(全6件) [ツッコミを入れる]

Before...

SAYAKA [暖かいお言葉ありがとうございます。 こんなつたない日記を読んで頂きありがとうございます。 昨日ジブが家に帰ってくる夢..]

Moon [辛かったでしょ、涙が止まりません。。どんな時も、飼い主は決断を迫られます。それが、結果として好ましくなかったとしても..]

SAYAKA [>Moonさん 暖かい言葉ありがとう。いっぱい泣きました。 まだ時々押し寄せてきて涙が出てしまう事があります。 でも..]

りき母 [お父さん、お母さんが来るのを待っていてくれたんだね。親孝行だったね.... ジブの近くにデカい黒い犬がいるからね、一..]

SAYAKA [>りき母  ありがとうございます。  そうですねえ。リキ丸さまに遊んでもらってるといいなあ。  モフモフの尻尾にくる..]


2009-10-08-Thu 台風が通過した木曜日 [長年日記]

この日記は日付を遡って書いています。

ジブとお別れしました。

前日、お父ちゃんが獣医さんに紹介してもらった霊園に予約を取ってくれていました。
台風一過。風の強い中、ジブの亡骸を抱えて霊園に向かいました。

15時10分前に霊園に到着。手続きを終えて、ジブを荼毘に付します。

荼毘に付す前、亡骸の体重計測がありました。
動物の場合、亡骸の体重で料金が決まるのだそうです。

ここで、更に後悔しなければならない結果が見つかりました。

手術前、4.6kgしかなかったジブの体重は、5.8kgにまで増えておりました。
つまり、1.2kgも増えていて、そのほとんどが、腎機能の低下によって排出されなかった毒素混じりの水分だということです。
生きながら、自分の身体の中で、水責めにあっていたような状態だったのです。

ジブの腎臓の機能の低下の兆候は手術前まで認められていませんでした。
血液検査でも尿検査でも、腎機能が低下していると確認できるような結果は出ていなかったのです。

猫の腎臓は、人間もそうですが、一度破壊されると二度と再生されません。
人間なら透析して補える事も出来ますが、猫の透析は無いそうです。
腎臓は、その機能が25%以下になるまで、検査等の結果には出ないそうです。
機能が25%以下になって、ようやく人間は診断を下す事が出来、そこから投薬などによって、それ以上の腎機能の破壊をふせぐ対応に出る事が出来るようになるのだそうです。
25%あれば、慢性腎不全だとしても少しでも生き長らえさせる事が出来るのだそうです。
25%あれば、通常並の生活を送る事が少しは出来るのだそうです。

獣医さんがおっしゃっていたのは、25%以下ではないけれど、ジブの腎機能はぎりぎり、それこそ30%ぐらいだったのではなかろうかと。
検査の結果には出なかったけれども、そのくらいまで低下していたのではなかろうかと。
それが、開腹手術を受け、部位を切り取り、お腹の中が直そうという炎症を起こす事によって、腎機能の許容量をオーバーした結果破壊が進み、それで腎機能の著しい低下ということに至ったのではなかろうかと。

私はもちろん、獣医さんにでさえ、予測できなかったことだったのです。

腎機能が低下していたなら、手術はしなかった。したとしても、腎機能が低下しているという認識のもとに対応しながらの手術になったであろうと。

やはり、あの時、私が開腹手術を決断しなければ、ジブはまだ生きて存在していた可能性が高かったのです。

1.2kgも増えていた体重。
どうジブに謝ったらいいのか、わかりません。
悔いばかりが重くのし掛かり、胃がきゅうきゅうと締め付けられました。

1時間ばかりして、ジブの骨を拾いました。
白い壺に収められたジブは、とても小さくなってしまいました。
荼毘に付す直前に外したジブの首輪を遺骨の外側に掛け、抱きしめながら帰宅しました。

今ジブは、小さな小さな姿になって、居間におります。